大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和60年(ワ)4073号 判決

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告木村博に対し、一九〇〇万〇四四三円及びこれに対する昭和五七年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員の、原告木村歌子に対し、一八五〇万〇四四二円及びこれに対する同日から支払済みまで右割合による金員の各支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告木村博(以下「原告博」という。)及び原告木村歌子(以下「原告歌子」という。)は、亡木村和博(昭和五三年七月六日生まれ。以下「和博」という。)の両親である。

被告は、東京都清瀬市梅園一丁目三番一号において東京都立清瀬小児病院(以下「被告病院」という。)を開設しており、福田豊紀(以下「福田」という。)、小柳博靖(以下「小柳」という。)、佐藤正昭(以下「佐藤」という。)、大川岩夫(以下「大川という)らは、いずれも、昭和五六年五月ないし昭和五七年一二月当時、被告病院に勤務していた医師である。

2  和博に対する診療経過及びその死亡

(一) 入院までの経緯

(1) 和博は、昭和五六年五月初めごろ、風邪のために近所の医師の診療を受けたところ、心雑音がある旨を指摘されて国立埼玉病院を紹介され、同病院の診療を受けたが、同病院から更に専門の病院として被告病院を紹介された。

(2) 和博は、同月一九日、被告病院で初めて診察を受け、次いで同年九月二九日、翌五七年三月二日及び同年六月八日に通院し、心電図及びエコー等の検査等を受けた。そして、原告らは、佐藤から、和博の心臓に穴が空いている、更に詳しく調べるためにカテーテル検査を行う旨の説明を受けた。

(3) 和博は、検査のため、同年九月二〇日から同月二七日まで、被告病院に入院した。原告らは、同月二二日に実施された和博のカテーテル検査後、佐藤から、「右心房と左心房の間に二・七から三センチメートル大の穴が空いている。手術は四歳以上で体重が一六キログラム以上になればやれる。早い方がよい。ベットが空き次第行うが、今年の一一月か一二月がよい。」との説明を受けた。

ちなみに、右カテーテル検査の結果によれば、左右短絡率が七一パーセント、主肺動脈圧六〇/一七水銀柱ミリメートル(以下「mmHg」という。)、右肺動脈圧四七/一七mmHg、左肺動脈圧六〇/一七mmHgであつた。

(4) 原告らは、同年一一月二九日、被告病院心臓血管外科担当医の福田から、和博の手術の概要と危険性について説明を受けた。福田は、前記(3)と同様の説明をした後、「ほつて置くと血管が詰まつて体内の血液の循環がだんだん悪くなつて行く。だから、穴をふさぐ手術が必要だ。危険率は二パーセントで手術は大丈夫である。できるだけ早い時期にやる。」と述べたので、これを聞いて安心した原告らは、和博の手術を被告病院に任せることにし、ここに、原告らと被告病院との間に、和博の手術を含む診療について医療契約が締結された。福田は、その際、原告らに対し、和博に入院まで風邪をひかせないように注意することを指示した。

(二) 入院後手術に至るまで

(1) 和博は、昭和五七年一二月八日(本項における出来事は、いずれも同月中に生起したものであるので、本項では、年月を省略する。後記二の2の(二)においても同じ。、心房中隔欠損症(以下「ASD」ということがある。)の手術(以下「本件手術」という。)のため、被告病院に入院した。原告博は、和博が右入院時に咳をし鼻汁を出し扁桃腺を中程度肥大させていたので、その際、小柳に対し、和博が六日ごろから風邪をひいていた旨を告げ、「和博の身体が弱つているので、手術をするのは無理ではないか。」と尋ねたところ、小柳は、「手術をするまで一週間以上あり、風邪は入院中に直すから心配ない。」と返答をした。

入院時の和博の体重は一六・四一キログラム、身長は九八・四センチメートルであつた。心音は第2音の固定性分裂で三/六度収縮期駆出性雑音が胸骨左縁上部で、また、二/六度拡張期雑音が心尖部で聴取された。肝臓が二センチメートル腫大していた。超音波検査では、僧帽弁逸脱の明らかな所見は認められなかつた。胸部X線写真では、心胸廓比五八パーセント、肺血管陰影(+++)であつた。

(2) しかしながら、和博の風邪の症状は、次のとおり完治しないまま手術直前まで続いた。

九日 高熱、鼻汁、鼻閉、咳。白血球数一三六〇〇。

一一日 咳。

一二日 咳、発汗、顔面紅潮。

一三日 鼻汁、咳。

一四日 咳、鼻汁。

一五日 湿性咳嗽、鼻汁。白血球数一〇九〇〇。

和博は、風邪の症状が激しいため、九日から感冒薬OWを、一一日から抗生剤シンクルをそれぞれ内服し始め、手術当日の一六日まで内服し続けていた。

(3) なお、和博の肝機能検査では、GOT値が九日に四八、一五日に三二であり、LDH値が九日に四八〇、一五日に四六〇である。

(三) 手術及び術後の経過

(1) 原告らが昭和五七年一二月一六日(本項における出来事は、いずれも同日を中心として同日から同月一九日までの間に生起したものであるので、本項における時間は、日を特に断わらない限り、同月一六日のものである。後記二の2の(三)においても同じ。)の手術前に和博の様子を見たところ、顔が青白く、ぐつたりした状態であつた。ちなみに同日朝の和博の白血球数は、八三〇〇であつた。

手術の開始時間は九時三五分で、終了時間は一二時四〇分であつた。

手術は、小柳の執刀で行われ、二八×一四ミリメートルの欠損孔の縫合閉鎖がなされたが、胸骨正中切開で心のうを開いた際、心のう液が中等量貯留し、外見上心不全の症状がみられた。

手術中に僧帽弁の逆流テストが実施されたが、僧帽弁の逸脱、逆流の明らかな所見は認められなかつた。逆流テストは約一〇分かかり、その結果、大動脈遮断時間も約一〇分延びた。

なお、当日は被告病院の職員のストライキが行われ、外来診療も中止されるなど、通常に比べて不十分な診療体制であつた。

(2) 大川は、手術終了後手術室において、意識が回復していない和博の気管内チューブを抜去している。そして、和博は、手術室から病室に運ばれたが、看護婦一人が搬送し和博の呼吸等の管理は行われなかつた。

(3) 和博は、帰室直後の一三時二〇分ごろ、軽度陥没呼吸、口唇色・顔色やや不良、四肢冷感の呼吸不全状態に陥つた。このときは、医師が肩枕をするなどのことをしたことにより一時的に若干の容態の改善をみた。

(4) その後の和博の容態は、次のような経過をたどつた。

一七時〇分ごろ、軽度の鼻翼呼吸があり、その後も努力性呼吸となる等不安定な状態のままであつた。収縮期血圧は、一五時五〇分で八二mmHg、一八時〇分で九四mmHgであつたが、一九時〇分に七二mmHgに急激に下降した。脈拍数は、一三六ないし一五二回/分と頻脈となり、一九時には一五二回/分の増加傾向にあつた。尿量は、一八時までの一時間が五・六立方センチメートル(以下「CC」という。)、一九時までの一時間が五CCと激減していた。しかし、右のような症状に対して、特段の処置も取られなかつた。

(5) 一九時四〇分ごろ、しばらく呼吸抑制が続いた後、更に急激な血圧の低下と徐脈に陥り、心停止となつた。ベットサイドで呼吸抑制に対処していた福田が心マッサージを施行したが、その場に麻酔科医がいなかつたので、麻酔科医の岡林某(岡井某の誤記と思われる。以下「岡井」という。)を呼び寄せ、同人の手で気管内チューブを挿管して人工呼吸を行つた。また、プロタノールや利尿剤のメイロンの使用を開始した。その結果、一旦は若干の改善をみた。

(6) 翌一七日四時五〇分に再び心停止に陥つた。その後も再三血圧が低下し、塩化カルシウムの投与等により最悪の事態を回避していたが、和博は、ついに、一九日一四時三五分、死亡するに至つた。

なお、一七日にGOT値が四六八、LDH値が一八三〇と異常に高くなつている。

3  被告の責任

(一) 以下に述べるように、被告病院には原告らとの間の医療契約上の債務不履行があり、また、被告病院の医師らには不法行為上の過失があり、和博は、被告病院の右債務不履行又は被告病院の医師らの右過失によつて死亡したものであるから、被告には原告らに対して和博の死亡による損害を賠償する責任がある。

(1) 説明義務違反

被告病院の医師らは、本件手術をするに当たつて、原告らに対し、次のような説明をすべき義務があつた。

すなわち、和博の症状、手術をしなかつたならばどうなるか、手術はどのようなものか、手術を実施するとしても今日明日を争う必要のないこと、リスクはどれくらいか、それを左右するファクターは何か(欠損孔の大きさなどのASDの症状、合併症の有無などの全身状態、体質・年齢などの個体的要因)、手術はどの時期に行うのがよいか(入学などの社会的要因、体力などの個体的要因)、昭和五七年一二月一六日の風邪の症状、それによるリスクの上昇の程度、手術の実施は一日を争うものではなく、風邪が治癒してからでもよいこと。

ところが、被告病院の医師らは、原告らに対し、前記2の(一)の(3)及び(4)程度の説明しか行わず、僧帽弁逆流テストの実施についてはなんらの説明もしなかつた。

右の説明義務違反は、医療契約上の不完全履行となるものであり、同時に、不法行為をも構成する。

(2) 手術時期の選択上の過失

ア ASDの手術は、全身麻酔で行われるものであり、長時間を要し、予後との関係でみても緊急を要するものではないこと等からすると、十分な体力が備わつてから実施されるべきものである。

ところが、被告病院の医師らは、和博が四歳五か月で体力が十分でないにもかかわらず、本件手術を行つた。

イ 本件手術は一刻を争う緊急性のある手術ではなかつたのであるから、和博の風邪の治癒を待つて実施されるべきであつた。

ところが、被告病院の医師らは、和博が風邪に罹患し、体調が良くないにもかかわらず本件手術を行つた。

ウ ASDの手術は全身麻酔で行われ長時間を要するものであるから、それに相応した人員を配置して行うべきである。

ところが、被告病院では本件手術の当日は職員のストライキによつて人員の配置の困難が予想される状況にあり、被告病院の医師らは、そのために人員の配置の困難が容易に予測され得たにもかかわらず、本件手術を強行した。

(3) 心筋障害を看過した過失

GOTの正常値は四〇以下、LDHのそれは五〇から四〇〇であるところ、和博の昭和五七年一二月九日のGOTは四八、LDHは四八〇、同月一五日のGOTは三二、LDHは四六〇でいずれも正常範囲を超えており、術前に和博の心筋障害を疑うことが可能であつた。

ところが、被告病院の医師らは、和博のGOT及びLDHを軽視し、心筋障害を全く疑わず、通常の方法で本件手術を施行し、かつ、僧帽弁の逆流テストという心筋への負担を増加させる検査をして心筋保護のために十分な注意と措置を施さなかつた。

(4) 不必要な検査を実施した過失

和博には術前の諸検査によつて僧帽弁の閉鎖不全の疑いはほとんどなかつたのであるから、あえて手術中に僧帽弁の逆流テストを施行する必要はなかつた。

ところが、被告病院の医師らは、本件手術中に和博に対して僧帽弁の逆流テストを施行し、大動脈の遮断時間を延長させて心筋に重大な障害を与えた。

(5) 術後管理上の過失

ア 気管内チューブの抜去時期を誤つた過失

心臓の手術では術後低酸素血症等を起こし、心肺性危機へと移行する可能性をもつていることから、軽症状の場合を除き、少なくとも手術の当夜は気管内チューブを入れたままにして置き、患者の自発呼吸を補助するか、又は、調節呼吸にすべく、気管内チューブの抜去は、チアノーゼがなく、血圧が安定し、四肢が暖かく、静脈圧が一五水柱センチメートル(cmH2O)以下で、尿量が十分になつた段階ですべきである。

和博は、術前術後の胸部X線写真でいずれも肺血管うつ血が認められたのであり、カテーテル検査の結果では単純なASD以外に肺動脈の狭窄を疑う程度に肺動脈圧が六〇と高く、肺血管陰影の増強、肝腫大や収縮期雑音があつたのであるから、肺高血圧症及び低酸素症の発生、高度化が十分に予想され、また、開胸時心不全の外観が認められたのであるから、重症の合併症の疑いもあつた。このような場合、麻酔科医としては、手術の当日は一昼夜は気管内挿管のままレスピレーターに接続して有効な酸素療法を行うべきであつた。

ところが、麻酔科医の大川は、手術終了後手術室で気管内チューブを抜去し、和博の自発呼吸にゆだねた。

イ 再挿管による人工呼吸管理が遅れた過失

補助呼吸を中止して気管内チューブを抜去すると、それがきつかけで症状が悪化することがあるので、抜管後もし患者にチアノーゼ等が出現したときは直ちに再挿管をすべきである。

ところが、和博が抜管後の昭和五七年一二月一六日一三時二〇分に陥没呼吸、口唇色・顔色不良、四肢冷感となつているにもかかわらず、被告病院の麻酔科医は、再挿管をせず、そのまま放置した。

ウ 低心拍出量症候群に対する措置上の過失

心臓手術後発生しやすい合併症である低心拍出量症候群の症状は、低血圧、脈圧の減少、頻脈、四肢のしつとりした冷感、軽いチアノーゼであり、更に進めば、尿量の減少、次いで無尿、肝機能障害、意識障害をきたし、治療が適切でなければ死に至ることもあるとされている。この治療は、ジキタリス剤、カテコールアミンによつて心筋収縮力を増強し、心拍出量を増加させ、循環血液量、水分量の不足があればこれを遅滞なく補う一方、末梢血管収縮は可及的にこれを避け、末梢のアノキシアを防止しつつ、循環動態の改善を図ることであるとされている。

和博の術後の症状は、顔色・口唇色不良が続き、意識もはつきりとせず、同日一七時には軽度鼻翼呼吸となつた上、前記2の(三)の(4)のとおりであり、右の主徴に合致する ところが、被告病院の医師らは、和博が遅くとも同日一九時には低心拍出量症候群に陥つていたにもかかわらず、それに気付かずに漫然とこれを放置し、何らの適切な医療措置をも講じなかつた。

エ 血圧の急激な低下等に対して適切な医療措置を講じなかつた過失

仮に和博の症状が低心拍出量症候群に当たらないとしても、同日一九時の和博の症状は、収縮期血圧が七二mmHgに急降下して危険な状態にあり、脈拍数と一五二回/分と頻脈で、尿量も一時間五ccと乏尿となつていて、呼吸状態も不安定であつたのであるから、血圧上昇、尿量増加、呼吸状態の安定を図るため、カテコールアミン、利尿剤の投与、更に人工呼吸器への接続が迅速に行われる必要があつた。

ところが、被告病院の医師らは、その後四〇分間も和博に対して特段の医療措置を施さずに放置した。

オ 心停止に対する措置上の過失

心臓手術後の容態の急変はあり得ることであるから、被告病院の麻酔科医は、患者に対していつでも人工呼吸器を接続できる体制になければならない。

和博の同日一九時四〇分の心停止に対しては直ちに心マッサージが施行されているが、被告病院の和博の担当麻酔科医らは、そのベットサイドを離れていたため、和博に対する気管内挿管による人工呼吸がなされたのは心停止五分後であつて、和博の心停止に即時に応じられなかつた。

(二) 期待権侵害

仮に以上に述べた被告病院の医師らの過失と和博の死亡との間に因果関係の存在の証明が不十分であつたとしても、被告病院の医師らに右の過失のうち一つ又は数個の過失が認められる以上、原告らが国立埼玉病院から小児外科の専門病院ということで被告病院を紹介され、被告病院が最高の治療を実施できる人的組織と物的設備を備えていることをも考慮すると、原告らの期待権(診療当時の医学水準からみて最善の診療を受けられる権利)を侵害したことになるので、被告は、後記4のうちの原告らの精神的損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 原告らが相続した和博の損害賠償請求権

(1) 和博の逸失利益

一八〇〇万〇八八五円

和博は、死亡当時四歳があるから、その就労可能年数は一八歳から六七歳までの四九年である。昭和五八年賃金センサス第一巻第一表中の産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者の平均賃金を収入額の基準として、和博の逸失利益をライプニッツ式により中間利息を控除して算定すると、右のとおりとなる。

年間収入 三九二万三三〇〇円

生活費控除 五〇パーセント

ライプニッツ係数 九・一七六四

(2) 和博の慰謝料 一〇〇〇万円

和博は、活発な男児であつたが、本件手術の後死亡するに至るまでの間、呼吸困難と激烈な苦痛にみまわれながらわずか四歳の命を閉じた。このような和博の精神的・肉体的苦痛、悲哀を慰謝するには、少なくとも一〇〇〇万円が相当である。

(3) 和博の死亡により、その権利は、原告らが和博の両親としてそれぞれ二分の一ずつ相続した。

(二) 原告らの固有の損害

(1) 原告らの慰謝料 各三〇〇万円

和博は、原告ら夫婦が二女をもうけた後ようやく生まれた男子であり、その子を失つた両親の苦痛は想像に絶するものがある。原告らの受けた精神的苦痛に対する慰謝料額は、各自三〇〇万円を下らない。

(2) 原告博の支出した葬儀費 五〇万円

原告博は、和博の葬儀費として少なくとも五〇万円の出費を余儀なくされた。

(3) 原告らの負担すべき弁護士費用 各一五〇万円

原告らは、本件訴訟を提起するに当たり、原告ら訴訟代理人らと訴訟委任契約を結び、その着手金及び報酬として一五〇万円ずつを支払うことを約束した。

よつて、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、原告博は一九〇〇万〇四四三円及びこれに対する和博が死亡した日である昭和五七年一二月一九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告歌子は一八五〇万〇四四二円及びこれに対する同日から支払済みまで右割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)(1) 請求の原因2の(一)の事実は認める。

(2) 同2の(一)の(2)の事実は認める。ただし、心電図及びエーコー検査のほかに、胸部X線写真撮影も実施した。

被告病院初診時の和博の体重は、一六・五キログラムであり、身長は、八八センチメートルであつた。胸部X線写真上、心胸廓比五七パーセント、肺血管陰影は(++)で明らかに増強を示しており、心電図では右心室肥大の所見で、肝臓は右季肋下三センチメートルと大きく腫大していた。佐藤の診断は、心房中隔欠損症及び末梢肺動脈狭窄症であつた。

(3) 同2の(一)の(3)のうち、「二・七」とあるのは「二・〇」、「一六キログラム以上になればなれる」とあるのは「一六キログラム以上だからやれる」である。その余の事実は、左右短絡率が七一パーセントであつた点を除き、認める。

なお、被告病院医師村井孝安は、昭和五七年九月二一日、和博に対して超音波検査を実施した結果、佐藤と同じ診断をした。翌二二日、心臓カテーテル検査を実施した結果も、同様の診断であつた。

被告病院循環器症例検討会(心臓血管外科医師三名、小児内科医師(循環器担当)三名で構成)は、同月二九日、右の診断を確認するとともに治療方針として手術の適応であることを確認した。

(4) 同2の(一)の(4)のうち、原告らがその主張の日にその主張の担当医である福田から和博の手術の概要と危険性について説明を受けたこと、福田が和博が心房中隔欠損孔縫合閉鎖術の手術適応にあること、手術の危険率はおよそ二パーセント程度で先天性の心臓疾患の外科手術の中では安全性が高い旨を説明したことは認めるが、その余の事実は争う。大川も、原告らに対し、被告病院では合併奇形のない単純な心房中隔欠損孔縫合閉鎖術で亡くなつた患児はいない、麻酔については心配しなくてよい旨説明した。

(二)(1) 請求の原因2の(二)の(1)のうち、和博が八日に被告病院に入院したこと及び入院時の症状が原告らの主張するとおりであつたこと(ただし、肺血管陰影は、(++)である。)は認めるが、和博が六日ごろから風邪をひいていたことは知らないし、その余の事実は否認する。

なお、和博の入院時の風邪の症状及び身体の状態を補足すると、扁桃腺の発赤はなく、全身状態は良好で、リンパ腺腫張、浮腫、貧血、黄疸は認められなかつた。呼吸は正常で、肝臓に圧痛はなく、胸部・頭部・四肢・脊柱に変形はなかつた。また、心電図は正常洞調律で不整はなく、右心房拡大及び右心室肥大の所見であつた。

(2) 同2の(二)の(2)のうち、和博の風邪の症状が原告らの主張中の、九日-鼻汁、鼻閉、咳。白血球数一三六〇〇。一一日-咳。一二日-咳。一三日-鼻汁、咳。一五日-咳、鼻汁。白血球数一〇九〇〇であつたこと、和博が原告ら主張の薬をそれぞれ内服し始めたことは認めるが、その余の事実は争う。和博の風邪の症状及び手術前日までの諸検査の結果を述べると、次のとおりである。

九日-熱はなく、活気があり、呼吸音は正常であつたが、鼻汁、鼻閉、咳があるため感冒薬OW(b):二~五歳用約束処分(一日三回)の内服を開始した。C反応性蛋白試験(CRP検査)は、〇・〇であつて、感染症を疑わせる所見は認められなかつた。血液検査では、白血球の増加以外には、好中球(N-Seg)六八、リンパ球(Lymh)が二六で異常はなく、また、血液凝固検査にも異常はなかつた。生化学検査では、電解質、腎機能は正常であり、肝機能検査では、GOTがやや上昇している以外に異常はなかつた。尿検査では、少量の赤血球、白血球、上皮細胞、硝子様円柱、蓚酸カルシウムの結晶が認められた。

一〇日-咳、鼻汁とも減少した。術前の増血剤として、インクレミン、シロップ六ミリリットル(一日三回)の内服を開始した。また、アイソトープ検査のうち、ラジオアイソトープ心図(RCG)では、右心室腔の著名な拡大がみられ、原疾患によると思われる肺野のアイソトープ消失遅延がみられ、左右短絡率は六五パーセントであつた。

一一日-再度の尿検査では、沈渣所見は正常となつた。和博は、やや咳があるものの、平熱であつたが、抗生剤としてシンクル一五〇〇ミリグラム(一日三回)の内服を開始した。

一二日及び一三日-和博は、平熱で活気があり、時々咳、鼻汁がある程度であつた。

一四日-和博は、平熱であつた。

一五日-血液検査では貧血はなく、白血球も減少し、肝機能検査でもGOTが低下していた。胸部X線写真では、心胸廓比は五八パーセントで、肺血管陰影の増強も入院時と同様であつた。肺換気血流検査(肺シンチグラム)では、肺野の血流分布は不均一で、末梢血管系の病変を思わせたが、換気分布はほぼ均一であり、呼吸障害はないであろうと判断された。和博は、咳と鼻汁が認められるものの減少してきており、平熱で活気があり、呼吸音も正常であつた。CRP検査は、〇・〇である。

以上のとおり、入院当日から見られた和博の風謝症状は軽いもので、熱は引き続き平熱で、咳や鼻汁が時々見られるものの、一四日からはそれもほとんどなくなり、一三日からは、看護婦が注意しても従わないほど活気が見られた。

(3) 同2の(二)の(3)の事実は認める。

和博の主治医であつた小柳は、和博の風邪の症状も改善しているので、手術に支障がないものと判断して本件手術を予定どおり翌日に実施することとしたが、なお、当日の和博の全身状態をみた上で最終決定をすることとした。

(三)(1) 請求の原因2の(三)の(1)のうち、手術前に和博の顔が青白く、ぐつたりした状態であつたこと、当日の診療体制が通常に比べて不十分であつたことは否認するが、その余の事実は認める。

一六日の白血球数は正常で、鼻汁、咳は認められず、平熱で呼吸音も正常であり、体重も入院時と変わらず、尿検査成績が改善されており、食欲があつて走り回つて遊ぶのを看護婦が注意するほど活気があつたので、和博は、手術に支障のない全身状態にあり、かつ体力も十分あると考えられた。麻酔科医と心臓血管外科医が協議した結果、予定どおり本件手術を行うことを最終決定し、小柳は、原告らに対し、その旨を伝えた。その際、原告らから和博がだるそうにしているが手術をして大丈夫かとの質問があつたので、小柳は、麻酔の前投薬のためうとうとしている状態である旨説明した。

本件手術は、心臓血管外科医三名(術者・小柳、介者・福田及び加藤木某)、麻酔科医二名、看護婦四名の人的物的とも万全の態勢で実施した。

本件手術中に和博に対して僧帽弁逆流テストをしたのは、一一日、福田が三~四/六度の高振動数収縮期吹鳴様の雑音を胸骨左縁中部から心尖部にかけて聴取したところから僧帽弁閉鎖不全を疑い、本件手術中に逆流テストを実施することを提案し、被告病院の心臓血管外科医三名が協議の上右テストを行う方針を決定したことによる。なお、小柳は、一二日に原告博から和博の心房中隔欠損孔縫合閉鎖術についての承諾書を受領していたが、一四日、原告らに対し、手術時、心房中隔欠損孔の閉鎖を行う前に僧帽弁の逆流の有無を調べる検査を行い、その結果によつては適当な処置が必要になるかもしれないが、その場合には危険率も若干高くなる旨を説明し、右検査に対する原告らの承諾を得た。

本件手術に入ると、体外循環を開始し、心停止液を大動脈基部から注入し、心筋局所冷却を併用して心筋保護を行つている。本件手術中に予定どおり僧帽弁逆流テストを左室心尖部からベントカニューレを挿入して行つたが、明らかな僧帽弁の逸脱や逆流は認められず、特段の処置を必要としなかつた。さらに、手指を肺動脈弁に挿入して弁の狭窄の有無を調べたが、狭窄所見が認められなかつた。心房中隔欠損孔縫合閉鎖を行い、右心房及び右心室内更に大動脈基部及び左心室心尖部からの空気抜きを行つた後、心筋の温度が上昇するまで一時的に体外ペースメーカーで一二〇回/分のペーシングを行つた。間もなく心筋温度は正常に回復し、心電図も正常洞調律に回復した。人工心肺を離脱した後(体外循環時間は六〇分)も、血圧は良好に保たれ、排尿も良好であつた。

(2) 同2の(三)の(2)のうち、麻酔科医が手術室で気管内チューブを抜去したこと、和博を病室へ搬送したことは認める。手術室で気管内チューブを抜去し、血圧測定をしたところ、最高血圧は九五ないし一〇〇mmHgで、脈圧も四五と循環動態が安定していたため、病室へ搬送したものである。

(3) 同2の(三)の(3)のうち、和博が一三時二〇分の帰室時に軽度陥没呼吸、口唇色・顔色やや不良、四肢冷感の状態であつたこと、肩枕を高くすることにより呼吸状態が改善されたことは認める。この時の血圧は一〇八/六四、体温は三八・二度(直腸温)であり、脈拍は一四八/分であつた。血液ガス検査では、PH七・三六、PCO2三五、PO2一六七(酸素ボックス内の酸素濃度四二パーセント)と良好であつた。和博は、帰室後四〇分で四肢の冷感が軽減したが、意識がやや混濁し、刺激で目を開けるものの返答がはつきりせず、麻酔半覚醒の状態にあり、やや軽度の陥没呼吸は、舌根沈下が原因と考えられるし、原告主張の症状は、通常の術後早期所見と考えられる。ボックス内の酸素濃度を五〇パーセント前後に保ち、肩枕を高くすることにより、帰室後一時間半を経過すると、両側肺の呼吸音も良好となり、喘鳴も消失し、呼吸状態は改善した。また、呼び掛けに対する応答もみられ、意識状態も改善された。心電図は正常洞調律を示し、観血的血圧測定及び水銀血圧計による血圧測定では多少の変動はみられるものの、八〇ないし一〇〇(最高)の血圧が保たれ、脈拍数は一四〇回/分であつた。右の血圧は、術後に通常みられる変動範囲内のものであり、尿の排出も十分にあつたので、循環動態はほぼ安定しているものと考えられた。一五時二〇分ごろにインダシン(鎮痛解熱剤)二五ミリグラム一個が挿肛されている。

(4) 同2の(三)の(4)のうち、一七時〇分ごろ軽度の鼻翼呼吸がみられたこと、一五時五〇分、一八時〇分及び一九時〇分の収縮期血圧、一四時五〇分から一九時までの脈拍数、尿量が原告ら主張のとおりであることは認める。和博の詳しい症状は次のとおりである。

帰室二時間半後の血液ガス測定では、PH七・四三、PCO2三一、PO2二三一と心肺機能は更に改善し、血清電解質所見は、K四・九と正常であり、強い刺激に対しては「やめて」という発言もあつたことから、意識状態にも問題はないものと考えられた。なお、一五時五〇分の和博の血圧が収縮期圧で八〇(水銀血圧計により看護婦が測定)に下つたとき、担当医は、看護婦と一緒に重ねて血圧測定をしたところ、収縮期圧が一〇〇で、四肢末梢もあたたかく異常が認められなかつたので、特に処置を必要としないと判断した。一七時には、血圧は一〇〇/六二mmHg、脈拍数は一四四回/分で末梢の冷感はなく、軽度の鼻翼呼吸がみられたものの、呼吸数は三四回/分と良好であり、脈拍は一四〇/分で特段の変化は認められなかつた。尿量も一時間二一CCと問題はなかつた。一八時には、血圧は九四/六六と良好であり、尿量は一時間五・六CCと減少したが、これは帰室後一八時までの尿量が二三五CCと大量であつたことによるものと考えられた。以上のとおり、術後早期における経過は順調であつた。

一九時の血圧測定時に和博が「おしつこしたい。」と身体を動かしたので水銀柱による測定器では聴診器による計測が困難なため、聴診器の代わりに超音波を利用するドップラー装置を用いて測定したところ、七二mmHgであつたが、モニター上は一〇〇mmHgを示していたので、直ちにカテコールアミンを使用すべき状態ではなかつた。また、「おしつこしたい」との発語もあり、意識状態にも特段の異常は認められなかつた。手術直後の血圧の変動は稀なことではなく、急激な変化は起こらないものと考え、口腔及び鼻腔内を吸引し、咳嗽を促し、名前を呼んだり、痛覚刺激を与えたりした。しかし、吸引の刺激・呼び掛けに対しての反応が微弱になり、また、努力性呼吸が認められることから、呼吸状態を改善するため、肩枕を高くして様子をみた。

(5) 同2の(三)の(5)のうち、和博が心停止になつたこと、改善をみたのが一旦で若干であつたことは否認するが、その余の事実は認める。和博は、著しい徐脈にはなかつたが、完全に心臓が止まつたわけではない。

小柳は、麻酔科医とともに心マッサージ施行開始五分後に気管内チューブを挿入し、人工呼吸器に接続した。その一三分後には、血圧は一〇五/五八に回復したが、循環動態がまだ不安定の状態であつたので、プロタノール(強心剤)の点滴を開始した。その直後の血液ガス検査では、PH七・三〇、PCO2三三、PO2四五八、BE(-九)、酸素飽和度一〇〇(一〇〇パーセント酸素)と酸性血症がみられたため、メイロン(重曹水)二〇ccを静注した。その後、二〇時三〇分の血液ガス検査では、五〇パーセント酸素でPH七・三八、PCO2三〇、PO2二一一、BE(-六)、酸素飽和度九九パーセントと酸性血症が僅にみられたものの、循環動態的には問題になる点は認められなかつた。しかし、その一〇分後に、血圧が七八に下降し、脈拍数が一六〇回/分に上昇したため、プロタノールを中止してドブトレックスに変更した。その後は、脈拍数が減少するとともに血圧も上昇して、二二時三〇分には八〇ないし一〇〇(最高)に保たれ、尿量も一時間三八ないし四七ccと良好であつた。また、名前を呼ぶとすぐ開眼するなどの反応が見られた。

(6) 同2の(三)の(6)のうち、再び心停止に陥つたことは否認するが、その余の事実は認める。

和博は、一七日四時五〇分に血圧が下降し、不整脈から徐脈になつたため、心マッサージを再開し、数分で血圧は八四に回復した。その後血圧の変動が激しかつたが、七〇以下に下降しないように塩化カルシュウム等を頻回に投与し、ボスミンの持続注入も開始した。和博は、同日七時ごろには「暑い。」と訴えたり、更には「ミカンが食べたい。」との意思を表示するなど意識状態は一応正常と認められた。

胸部X線写真では、心胸廓比五八パーセントで、右肺門部から右上葉にかけての肺血管陰影の増強が認められたが、肺野は十分に拡張していた。血液検査では、白血球数が三〇一〇〇と増加しているほかは良好で、総蛋白は五・一と低く、尿素窒素二二、クレアチニン一・五で、Kが六・二と高いが、他の電解質は正常であつた。

なお、GOTは四六七と高値を示し、LDHも一八三〇と高く、高度の心筋障害を示しているものと考えられた。肝臓は二センチメートル触知し、腸雑音が聴取できた。

3(一)(1) 請求の原因3の(一)の(1)はすべて争う。前記のとおり、被告病院の医師らは、原告らに対し、説明すべき事項は十分に説明している。

ASD手術当日の風邪の症状については、カルテからも明らかなとおりほとんど消失しており、そのことは、小柳も原告らに対して説明している。和博の場合、風邪のためにASD手術のリスクが上昇するということは、医学の常識上考えられなかつたため、被告病院は予定どおり手術を実施したものである。したがつて、担当の医師が原告らに対して風邪によるリスクの上昇について殊更に説明すべき内容もないし、また、その必要もなかつたものである。手術実施時期も、手術に関与する医師らが、風邪がほとんど治癒しており、手術の実施に何らの支障もないと判断したものである以上、そのことについて、原告らに対して殊更に説明すべき義務はない。

僧帽弁逆流テストについては、小柳が昭和五七年一二月一四日に原告らに対してその必要性と手術の時間が五分から一〇分ほど長くなることを説明している。右テストの検査方法そのものは手技としてそれほど困難なものではない上、何らの危険も伴うものではない。また、手術時間が伸びることによつてASD手術のリスクが上昇することも考えられなかつた。そのため、それらのことを殊更に説明する必要を認めなかつたものである。

仮に被告病院の医師らに何らかの説明義務違反があつたとしても、それが和博の死亡とどのような因果関係にあるのか明らかでない。

(2)ア 同3の(一)の(2)のアのうち、和博が四歳五か月であつたことは認めるが、その余はすべて争う。ASDの手術は乳児や高齢者の場合には、手術手技上の問題や合併症などの危険があるため、できれば避けた方がよいとする見解もあるが、原則的には、年齢自体によつてその適応が左右されるものではなく、年齢による手術の危険性にそれほどの差はないとされている。加えて、近時の麻酔法及び手術手技の進歩、人工心肺の改良、心筋保護法の導入等により、心臓外科手術における安全性は極めて高くなつてきており、それに伴いASDの手術至適年齢も最近では更に低年齢化の傾向にあり、外国文献でも就学前三歳から六歳までに行うのがよいとされるに至つている。したがつて、和博に対する本件手術の実施は、年齢的に決して早過ぎることはなかつた。

イ 同3の(一)の(2)のイは争う。二の2の(二)の(1)ないし(3)並びに(三)の(1)において述べたとおり、和博の風邪は、本件手術当日にはほとんど全快しており、手術にとつて何の障害もなかつた。

ウ 同3の(一)の(2)のイは争う。二の2の(三)の(1)において述べたとおり、本件手術は、平常と全く変わりのない万全の態勢で実施されたものである。

(3) 同3の(一)の(3)のうち、和博の昭和五七年一二月九日のGOTが四八、LDHが四八〇、同月一五日のGOTが三二、LDHが四六〇であつたことは認めるが、その余は争う。

原告らの指摘するGOTの正常値は、カルメン法によるものである。被告病院でも、ロブレスキー・カルメン法に基づくライトマン・フランケル法によつて測定しているが、この測定方法には問題点があるため、誤差が大きい(プラス・マイナス一五パーセント)とされており、また、その正常範囲は、報告者によつて必ずしも一定していない。和博のGOT値は右のとおり四八、三二であつたが、手術前日の後者の値は正常であり、前者のそれは、四〇の一五パーセントを若干オーバーするもののほぼ正常値に近いものである。加えて、小児の正常値は、成人のそれに比して明らかに高く、アメリカでは六〇が正常値の上限であるとされている。

また、原告らの指摘するLDHの正常値は、ロブレスキー単位であるが、被告病院における測定方法は、ロブレスキー・ラデュー法に準じたものである。和博のLDH(ロブレスキー単位)は右のとおり四八〇、四六〇であるが、四ないし六歳児の正常値は三三九ないし七〇五であるから、和博のLDH値がいずれも正常であつたことが明らかである。

したがつて、和博のGOT値及びLDH値が正常の範囲を超えていたとの原告らの主張は理由がないし、GOT値ないしLDH値が正常範囲を多少超えたからといつて、そのことから、直ちに異常値によつて予想される重大な疾患を疑うべきことにはならない。

さらに、ASDの通常の手術の場合には、大動脈遮断時間は平均的にみて二〇分程度であるが、その時間が大幅に延長されて五〇分を超えるようになると心筋に障害を及ぼすことがあるものの、三〇ないし四〇分程度では、患者の生命に危険を及ぼすような心筋の障害は生じないのが通常であるから、逆流テストの施行により、心筋保護のために十分な注意と措置を施さなかつたとする原告らの主張は理由がないというべきである。

(4) 同3の(一)の(4)のうち、本件手術中に和博に対して僧帽弁の逆流テストを施行し、大動脈の遮断時間を延長させたことは認めるが、その余は争う。和博に対する僧帽弁逆流テストの実施が決定された事情は、二の2の(三)の(1)で述べたとおりである。また、昭和五七年一二月八日の超音波検査での「僧帽弁逸脱の明らかな所見を認めず、とのカルテの記載は、僧帽弁が左心室の方から左心房の方に引つ繰り返つていないという形態上の所見を記したものであつて、そのことからは、直ちに僧帽弁の閉鎖不全の疑いが全くないということの証明にはつながらないのである。むしろ、和博には、〈1〉心雑音のほかに、通常のASDにしては肺血管陰影の増大が大き過ぎること、〈2〉心拡大が強いこと、3肝臓がやや肥大していることなどの所見が認められたため、福田は、和博がASDに心不全を合併しているものと考えた。そして、その原因としては、僧帽弁閉鎖不全による血液の逆流がもつとも強く疑われ、それを確認するために逆流テストを実施する必要があると判断したのである。

仮に僧帽弁の閉鎖不全がある場合において逆流テストによる確認をしないまま放置をしたならば、和博の心疾患は依然として残るから、ASDの縫合閉鎖術をしただけでは十分の治療といえず、ASDの手術の予後にも悪い影響を与える危険があるので、福田の右判断及び逆流テストの実施は、適切であつたというべきである。

また、逆流テストの施行によつて和博の心筋に重大な障害を与えたとする原告らの主張が医学的に根拠のないものであることは前項に述べたとおりであつて、失当というほかない。

(5)ア 同3の(一)の(5)のアのうち、カテーテル検査を実施した結果の診断において単純なASDのほかに軽度右肺動脈狭窄症であつたこと、肝臓が腫大していたこと、収縮期駆出性雑音があつたこと、麻酔科医が手術室で気管内チューブを抜去したことは認め、和博が術前術後の胸部X線写真でいずれも肺血管うつ血が認められた点は、和博に術前術後の胸部X線写真で肺血管陰影の増強が認められた限度で認めるが、その余は争う。仮に胸部X線写真で肺血管うつ血が認められたからといつて低酸素血症の存在を示すものとはいえないし、いわんや低酸素血症の発生及びその高度化に結びつくものでもない。

逆に、和博の場合には、血液ガス測定における動脈血のPO2の値は、同月一六日一三時五〇分に一六七mmHg、同日一六時には二三一mmHgであつて、動脈血中には十分な酸素が認められ、良好な状態であつたのであるから、和博が低酸素血症に陥る危険性ないし可能性は全くなかつたのである。また、本件手術は、重篤な合併症のないASDの縫合閉鎖術であり、ファロー四徴症根治術や人工弁置換術のような重症の心疾患でもないのであるから、手術室で患者の状態を観察した上で気管内チューブを抜去することに何らの問題もないし、むしろ、人工換気による合併症(肺胞破裂、片肺挿管、不慮の抜管、無気肺、肺感染、ICU症候群等)の危険性を考えると、早期に抜管した方がよいとさえいえる。

なお、被告病院では、ASD開心術における人工心肺使用の例では通常手術室で気管内チューブを抜去しているが、抜管後に低心拍出量症候群に陥り、再挿管した例がなく、また、和博に肺合併症がなかつたことから、本件手術においても、通常のごとく手術室で気管内チューブを抜去したものである。したがつて、麻酔科医が手術室で気管内チューブを抜去したことに何らの問題もなく、いわんや和博の死亡とは全く関係のない事柄である。

イ 同3の(一)の(5)のイのうち、和博に同日一三時二〇分の時点で軽度の陥没呼吸が認められ、口唇色・顔色がやや不良で四肢の冷感があつたことは認めるが、その余はすべて争う。和博に帰室時にやや軽度の陥没呼吸(舌根沈下が原因と考えられる。)が認めらたものの、チアノーゼはなく、気道確保のため肩枕をすることにより呼吸状態は改善され、再挿管の必要を認めなかつた。また、四肢の冷感も加温することにより改善され、麻酔半覚醒の状態も呼び掛けに対して応対するなど次第に回復の兆しをみせていた。更に喘鳴(ギューギュー音)も消失し、両側肺の呼吸音も良好となつていた。このように、この時期に和博に対して再挿管する必要性は全く認められなかつたものであり、陥没呼吸に対する被告病院の医師らの処置も適切であつた。

ウ 同3の(一)の(5)のウのうち、同日一七時に軽度の鼻翼呼吸が見られたこと、同日一八時〇分及び一九時〇分の各収縮期血圧、同日一四時五〇分から同日一九時の各脈拍数、各尿量が原告らの一の2の(三)の(4)の主張のとおりであることは認めるが、その余はすべて争う。

低心拍出量症候群は、総肺静脈還流異常症、大血管転位症、完全型心内膜床欠損症、三尖弁閉鎖症、ファロー四徴症等の重症の先天性心疾患の術後に起こりやすいといわれているが、合併症のない単純な心房中隔欠損孔縫合閉鎖術の術後に発症することは極めて稀であり、少なくとも同日一九時四〇分に心停止様の症状を呈するまでの経過を見る限り、それは低心拍出量症候群とは考えられない。

すなわち、低心拍出量症候群は、心拍出量の減少がある一定時間継続した場合、尿量が減少し、血圧が低下し、静脈圧が上昇して四肢がチアノーゼを呈して冷感を帯びてくる状態をいい、重症の例では薬物に反応しにくくなるといわれている。和博の場合、尿量が減少したのは同日一八時から同日二〇時にかけてであるが、それは術前に利尿剤を投与した結果、それまでの間に大量の尿排出があつたためである。また、脈もやや瀕脈に近い状態ではあつたが、著しい瀕脈(一分間一六〇ないし一七〇以上をいう。)ではなく、チアノーゼもなかつた。したがつて、同日一九時までにみられた和博の症状は、いわゆる低心拍出量症候群ではない。低心拍出量症候群は、低心拍出量の状態がある一定時間続いた結果発症するものであつて、その主徴に類似したいくつかの症状が開心術後に突然出現したとしても、それは心筋その他に何らかの異常が発生したことによるものであつて、低心拍出量症候群とは異なるものである。したがつて、和博の症状が低心拍出量症候群に当たることを前提とする原告らの主張は理由がない。

エ 同3の(一)の(5)のエのうち、同日一九時の和博の症状が収縮期血圧が七二mmHgに急降下し、脈拍数も一五二回/分と頻脈で、尿量も一時間五ccとなつていて、呼吸状態も不安定であつたことは認めるが、その余は全て争う。同日一九時の段階で、被告病院の医師らに原告ら主張のような作為義務は存在しなかつた。

すなわち、血圧については、同日一九時の血圧測定時に、和博が「おしつこしたい」と身体を動かしたため、聴診器の代わりに超音波を利用するドップラー装置を用いて測定したところ、七二mmHgであつたものであるが、モニター上は一〇〇mmHgを示していたので、直ちにカテコールアミンを使用すべき状態ではなかつた。また、「おしつこしたい」との発語もあり、意識状態にも特段の異常は認められなかつた。脈拍については、帰室後から同日一九時までに特段の変化は認められず、和博の年齢における脈拍数は、七〇ないし一八〇回/分が正常であるとされているから、右時点の脈拍が一五二であつたからといつて、何らかの措置を要する頻脈であつたわけでもない。尿量は、同日一八時に五・六cc、同日一九時に五ccとこの二時間だけをみるとそれ以前よりかなり減少しているが、それは、帰室時から同日一七時までの四時間足らずの間に、二二九・五ccの十分な排尿があり、かつ、手術により循環血液量が正常化したことによるものである。それゆえ同日一九時の時点で、原告らの主張するように、利尿剤を投与して大量の尿を排出すると、循環血液量の減少、ひいては血圧低下をきたして、容態を悪化させる危険があるから、それまでの経過を無視して、わずか二時間の尿量だけで、利尿剤の投与の必要を論ずるのは誤りである。

オ 同3の(一)の(5)のオのうち、和博に対して同日一九時四〇分に心マッサージが施行されたこと、和博に対する気管内挿管による人工呼吸がなされたのがその五分後であることは認めるが、その余は、被告病院の麻酔科医が和博のベットサイドを離れていた点を除いて、争う。

和博は、著しい徐脈にはなつたが、迅速に心マッサージを開始し、気管内チューブの挿入による人工呼吸、塩化カルシウムの静注などにより、間もなく血圧が一〇〇以上に上昇し、完全な心停止にまでは至らなかつたものであるから、心停止の発見が遅れたとか、発見後の心蘇生術の施行が遅れたとか、不適切であつたとの非難は当たらない。また、原告らの主張のような状況下において、重症な心筋障害が起こることは通常考えられない。

(二) 請求の原因3の(二)の主張は争う。被告病院の医師らには、原告らが主張するいずれの事項についても過失はない、また、原告らの主張する本件手術当時における最善の診療なるものの概念が全く不明確である上、死亡に結びつかない過失があるからといつて、なにゆえ、直ちに原告らに慰謝料請求権が発生するのか不可解である。

4  請求の原因4のうち、和博が死亡時四歳五か月であつたこと、原告らが和博の両親であることは認めるが、その余はすべて争う。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求の原因1(当事者)の事実については、当事者間に争いがない。

二  和博に対する診療経過及びその死亡について

1  入院までの経緯

(一) 請求原因2の(一)の(1)及び(2)の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

(二) 和博が検査のために昭和五七年九月二〇日から同月二七日まで被告病院に入院したこと、原告らが同月二二日に実施された和博のカテーテル検査後に佐藤から「右心房と左心房の間に三センチメートル大の穴が空いている。手術は四歳以上でやれる。早い方がよい。ベットが空き次第行うが、今年の一一月か一二月がよい。」との説明を受けたこと、右カテーテル検査の結果によれば、主肺動脈圧六〇/一七mmHg、右肺動脈圧四七/一七mmHg、左肺動脈圧六〇/一七mmHgであり、心房中隔欠損症及び右肺動脈軽度(末梢性)狭窄と診断されたことについては当事者間に争いがなく、右カテーテル検査の結果によれば左右短絡率が七一パーセントであつたことについては、被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。そして、《証拠略》を総合すると、右カテーテル検査時の和博の体重は、一六・三キログラムであり、身長は、九八・九センチメートルであつたこと、右カテーテル検査等では、心胸廓比は五七パーセント、肺血管陰影は(++)で明らかに増強を示していたこと、原告らは、右カテーテル検査後に、佐藤から、「和博の右心房と左心房の間に二~三センチメートルくらいの穴が空いており、先天性のものである。それをふさぐ手術をしなければならないが、手術は四歳以上、体重が一六キログラムぐらい以上であれば大丈夫であろう。」といつた説明も受けていること、被告病院の心臓血管外科医三名及び小児内科医(循環器担当)三名で構成された症例検討会は、同月二九日、右の診断結果等から、和博の症状を、心不全、チアノーゼはなく、三/六中等度振動数収縮期吹鳴様雑音が胸骨左縁上部から全肺野にかけて、二/六度低振動数拡張期ランブル音が胸骨左縁下部でそれぞれ聴取され、右心室が肥大している等と判断し、それに基づく心房中隔欠損症の治療方針として手術の適応にあることを確認したことを認めることができる。

(三) 原告らが同年一一月二九日に被告病院の心臓血管外科担当医である福田から和博の手術の概要と危険性について説明を受けたこと、福田が和博が心房中隔欠損孔縫合閉鎖術の手術適応にあり、手術の危険率はおよそ二パーセント程度で先天性の心臓疾患の外科手術の中では安全性が高い旨を説明したことについては当事者間に争いがなく、《証拠略》を総合すると、福田が同日原告らに対して説明した和博の手術の概要と危険性についての詳細は、カテーテル検査の結果の内容とそれに基づく診断で和博が心房中隔欠損症及び肺動脈狭窄症であること、手術の概略、その際の人工心肺の使用、輸血に伴う問題と手術ではできれば輸血を使用しない方針であること、二パーセント前後のASD手術の危険は、死亡と相当密接に関連すること、和博の症状からすればできるだけ早く手術した方が良いこと、手術をしない場合には、血管を詰まつて体内の血液の循環が次第に悪くなつて行くこと等であること、福田の説明を納得した原告らは、福田に対し、和博の手術を依頼したこと、福田は、原告らに対し、和博の入院日を同年一二月八日とすること、手術は同月一六日の予定であることを告げ、和博に入院まで風邪をひかせないように注意することを指示したことを認めることができる。

そして、右の事実によれば、原告らと被告病院は、同年一一月二九日、和博の手術を含む診療についていわゆる医療契約を締結したというべきである。

2  入院後手術に至るまで

(一) 和博が昭和五七年一二月(本項における出来事は、いずれも同月中に生起したのであるので、本項では、年月を省略する。)八日に被告病院に入院したこと、和博が右入院時に咳をし鼻汁を出し扁桃腺を中程度肥大させていたこと、入院時の和博の症状は、心音は第2音の固定性分裂で三/六度収縮期駆出性雑音が胸骨左縁上部で、また、二/六度拡張期雑音が心尖部で聴取され、肝臓が二センチメートル腫大しており、超音波検査では、僧帽弁逸脱の明らかな所見は認められず、胸部X線写真では、心胸廓比五八パーセントで、肺血管陰影が増強していたことについては、当事者間に争いがない。そして、《証拠略》を総合すると、和博の入院中の主治医は、小柳になつたこと、和博は、六日ごろから、熱はなかつたものの咳をし鼻水を出しており、風邪気味であつたこと、そこで、原告博は、和博の入院の際、小柳に対し、和博が風邪をひいているが大丈夫だろうか尋ね、小柳が手術はできるだけ良い状態のときにしたいと答えたこと、和博の入院時の体重は、一六・四キログラム、身長は九六・四センチメートルであつたこと、なお、和博の入院時の風邪の症状及び身体の状態を補足すると、扁桃腺が2度腫大しているが著しい発赤などはなく、全身状態に著しい障害がなく、リンパ腺腫張、貧血、黄疸も認められず、肺野の呼吸音は清で、肝臓は約二センチメートル腫大しているが圧痛はなく、頭部・背部・四肢に変形はなかつたことを認めることができる。

(二) 請求の原因2の(二)の(2)及び(3)の各事実は、(2)の和博の風邪の症状がひどかつた点を除いて、当事者間に争いがなく、《証拠略》を総合すると、和博の九日の風邪の症状としては、(右当事者間に争いのない事実のほかに、)顔面に浮腫感があつたが、体温は五時ごろ三五・九度、一二時ごろ三六・二度、一七時ごろ三六・四度で平熱であり、聴診上肺は清であり、看護婦の九時ごろ及び一七時ごろの観察では活気があつたこと、また、同日の血液凝固検査では異常はなく、生化学検査では電解質、腎機能は正常であり、尿一般検査では少量の赤血球、白血球、上皮細胞、硝子様円柱、蓚酸カルシウムの結晶が認められたこと、一〇日には、咳、鼻汁もなく、平熱で、風邪症状は改善したこと、同日のアイソトープ検査では、右心室腔の著明な拡大がみられ、左心室腔も同様であり、肺野のラジオアイソトープ消失・遅延がみられた上、左右短絡率は六五パーセントであつたこと、小柳は、同日、原告歌子に対し、和博のASDの手術について説明し、被告病院長宛の右手術の承諾書の用紙を手渡したこと、一一日も平熱で同日の尿一般検査では沈渣所見は正常となつたこと、福田は、和博を診察して三~四/六度の高振動数収縮期吹鳴様雑音が胸骨左縁中部から心尖にかけて聴取したことから僧帽弁の逆流を疑い、同日、小柳らと協議してASDの手術中に僧帽弁の逆流テストを行うこととしたこと、一二日二〇時ごろ入眠した和博に発汗、顔面紅潮が認められたが、それらは、体温が六時ごろ三六・三度、一二時ごろ三五・九度、一七時ごろ三六・一度で平熱であつたので、風邪症状に起因するものではなく、暖房によるものであると考えられること、なお、和博の同日一七時ごろの収縮期血圧は八四であつたこと、被告病院は、同日、原告博から、和博に対する一六日施行予定の直視下心房中隔欠損孔閉鎖術について承諾書を受け取つたこと、一三日も平熱で、看護婦の同日六時ごろ及び一四時ごろの観察では活気があり、特に一四時ごろは走り回つて看護婦が注意してもきかないほどであつたこと、なお、和博の同日五時ごろの収縮期血圧は、七六であつたこと、一四日も平熱であつたこと、一五日には、九時ごろに看護婦が湿性咳嗽を一回だけ観察しているが、聴診上肺野は清であり、C反応性蛋白試験の結果は〇であつて、一〇時ごろ鼻汁を出しているところからみると、右の湿性咳嗽なるものは、分泌物が咽喉を刺激したことによつて発せられたものであつて、風邪症状の悪化を示すものではないと考えられること、同日一七時ごろは活気があり、走り回るため看護婦から注意を受けているほでどあつたこと、同日の血液検査では貧血はなく、胸部X線写真では心臓廓比は五八パーセント、肺血管陰影は(+++)であり(肺血管陰影の増強については、当事者間に争いがない。)、肺換気血流検査では換気分布はほぼ均一であり、生化学検査では電解質、腎機能は正常であつたこと、ちなみに、前記当事者間に争いのない和博の八日ないし一五日の咳、鼻汁にしても、常時咳込んだり鼻汁を出したりしているというのではなく、日に一度とか数度とか時折とかいつた状態であつたこと、小柳は、同日、以上の和博の入院後の風邪症状の遷移を踏まえて、翌日の手術には特に支障はなさそうであると判断したが、なお慎重を期して翌日の和博の全身状態を診察し手術を担当する麻酔科医などとも協議した上で手術をするか否かの最終決定をすることにしたことを認めることができる。

3  手術及び術後の経過について

(一) 請求の原因2の(三)の(1)の事実は、手術前に和博の顔が青白くぐつたりした状態であつたこと、被告病院の昭和五七年一二月一六日(本項における出来事は、いずれも同日を中心として同日から同月一九日までの間に生起したものであるので、本項における時間は、日を特に断わらない限り、同日一六日のものである。)における診療体制が通常に比べて不十分であつた点を除いて、当事者間に争いがない。そして、《証拠略》を総合すると、本件手術を担当することになつていた心臓血管外科医の福田、小柳及び加藤木利行並びに麻酔科医の鈴木及び大川は、八時ごろ、和博の看護記録を読み、当日朝まで勤務してその介護を担当していた看護婦から和博の様子を聴いた上、和博を直接に診察して協議し、和博の体力が本件手術に耐えることができ全身状態も本件手術に支障がないことを確認して本件手術を施行することを決定したこと、原告らは、八時半ごろ、手術室に搬送される和博の顔色が青白くぐつたりしているようで心配になつたので、小柳に対し、様子を尋ねたところ、小柳は、風邪は大丈夫だ、ぐつたりしているのは麻酔の前投薬のためである旨返事をしたこと、本件手術は、右五名の医師、看護婦四名及び人工心肺の担当者一名のチームで行われ、この編成は、通常のASDの手術のときのそれと変わらないものであること、心膜を切開すると、心膜内滲出液が中等量貯留し、外見上浮腫状に見えたが、心筋そのものが梗塞して変色しているとか炎症しているとかいつた変化は認められなかつたこと、人工心肺装着の際、心筋局所冷却を併用して心筋保護を行つたこと、僧帽弁逆流テストでは、中央に僅かな漏入が見られたのみで、弁尖の逸脱はなく、明らかな逆流も認められなかつたこと、大動脈遮断時間は三六分であり、体外循環時間は六〇分であつたことを認めることができる。

(二) 麻酔科医が手術室で気管内チューブを抜去したこと、和博を病室に搬送したことについては当事者間に争いがなく、《証拠略》を総合すると、和博は、人工心肺をはずすに当たつて、薬物の補助を必要としないで自分の心臓の力のみで血圧を出したこと、被告病院では、ASDの手術の場合にはほとんどの場合に手術室で気管内チューブを抜去していること、鈴木及び大川は、胸部X線写真上異常がないことを確認し、更に諸検査の結果や視診等によつて全身状態に異常がないことを診てから気管内チューブを抜去したこと、和博は、抜管前の気管内洗浄において胸をたたかれた際かろうじて目を開けたが、その刺激が終わるとまた目を閉じる状態であり、抜管後も意識がやや明瞭さを欠く状態で病室に搬送されることになつたこと、看護婦による和博の病室への搬送は、酸素マスクによる呼吸管理を行いながら、大川及び小柳が同道してなされたことを認めることができる。

(三) 和博が一三時二〇分の帰室時に軽度陥没呼吸、口唇色・顔色やや不良、四肢冷感の状態であつたこと、肩枕を高くすることにより呼吸状態が改善されたことについては、当事者間に争いがない。そして、《証拠略》を総合すると、和博は、帰室後しばらく傾眠の状態にあり、そのため舌根が沈下しやすく呼吸がうまくできなかつたが、小柳が気道を伸ばすように確保し、分泌物を吸引することによつて幾分呼吸状態の改善がみられたこと、一三時二〇分ごろの血圧は一〇八/六四、体温は三八・二度(直腸温)であり、脈拍は一四八/分であつたこと、一三時五〇分に採血した血液のガス分析では、PH七・三六、PCO2三五、PO2一六七(酸素ボックス内の酸素濃度四二パーセント)と良好であつたこと、四肢を加温することにより一四時〇五分ごろには四肢の冷感も経減し、肩枕を高くすることにより呼吸状態も良くなつたこと、和博は、一四時二〇分ごろ、ネブライザーによる喀啖吸引時に、鼻にやるのはいやと言つて啼泣し、看護婦の呼び掛けに対して応答したこと、一五時二〇分ごろ体熱感があり、インダシン二五ミリグラム一個が挿肛されたこと、一五時五〇分前ごろまでは、観血的動脈圧測定と水銀血圧計による測定とでは異同がみられるものの、おおむね収縮期圧一〇〇程度の血圧が保たれ、脈拍数はほぼ一四〇回/分であり、尿の排出も十分であつたことを認めることができる。

(四) 一七時〇分ごろに軽度の鼻翼呼吸があつたこと、収縮期血圧が一五時五〇分で八二mmHg、一八時〇分で九四mmHg、一九時〇分で七二mmHgであつたこと、一四時五〇分から一九時までの脈拍数が一三六ないし一五二回/分であつたこと、尿量が一八時までの一時間が五・六cc、一九時までの一時間が五ccであつたこと、そのころの呼吸状態が不安定であつたことについては当事者間に争いがない上、《証拠略》を総合すると、一六時の血清電解質所見はK四・九と正常であつたが、その前後ころには顔面にエデーム感があり、かなり刺激しないと反応がないがかなり刺激すると目を開けて「やめて」と言つて身体を動かしたこと、一六時一〇分に採血した血液のガス分析では、PHは七・四三、PCO2は三一、PO2は二三一であつたこと、一七時ごろの血圧は一〇〇/六二mmHg、脈拍数は一四四回/分で末梢の冷感はなく、呼吸数は三四回/分で、脈拍は一四〇/分であり、尿量も一時間二一ccであつたこと、一八時ごろの血圧は九四/六六であつたが、尿量は一時間五・六ccであつたこと、ちなみに、帰室後一八時ごろまでの尿量は二三五・一ccであつたこと、一九時ごろの血圧測定時に和博が「おしつこしたい。」と身体を動かしたので、聴診器の代わりに超音波を利用するドップラー装置を用いて測定したところ、七二mmHgであつたが、モニター上は一〇〇mmHgを示していたこと、一九時四〇分前ごろになると、ネブライザーによる喀啖吸引や呼名に対しての反応が微弱になつたことを認めることができる。

(五) 請求の原因2の(三)の(5)の事実は、和博が心停止になつたこと、改善をみたのが一旦で若干であつたこと、その場に麻酔科医がいなかつたので、麻酔科医の岡井を呼び寄せたことを除いて、当事者間に争いがなく、その場に麻酔科医がいなかつたので、麻酔科医の岡井を呼び寄せたことについては、被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。そして、《証拠略》を総合すると、和博は、著しい徐脈にはなつたが、完全に心臓が止まつたわけではないこと、しかし、一時は瞳孔が両眼とも散大していたこと、小柳は、岡井とともに心マッサージ施行開始五分後に気管内チューブを挿入し、メイロン(重曹水)二〇cc及び塩化カルシウム五ccを静注したこと(岡井の手で気管内チューブを挿入して人工呼吸を行つたこと、メイロンの使用を開始したことについては、前記のとおり当事者間に争いがない。)、一九時五〇分に採血した血液のガス分析では、PH七・三〇、PCO2三三、PO2四五八、酸素飽和度一〇〇(一〇〇パーセント酸素)であつたこと、人工呼吸器に接続した一三分後には、血圧は一〇五/五八に回復したこと、一九時五五分ごろには、ラシックス(利尿剤)一アンプルを、次いでメイロン一アンプル及びボスミン〇・五ccをそれぞれ静注したこと、二〇時ごろに循環動態がまだ不安定の状態であつたので、プロタノール(強心剤)の点滴を開始したこと(プロタノールの使用を開始したことについては、前記のとおり当事者間に争いがない。)、二〇時三〇分に採血した血液のガス分析では、五〇パーセント酸素でPH七・三八、PCO2三〇、PO2二一一、酸素飽和度九九パーセントであつたこと、しかし、その一〇分後に、血圧が収縮期圧七八に下降し、脈拍数が一六〇回/分に上昇したため、プロタノールを中止してドブトレックスに変更したこと、その後は、脈拍数が減少するとともに血圧も上昇して、二二時三〇分ごろには収縮期圧八五になり、尿量も二一時から二二時までの一時間が三八・五cc、二二時から二三時までの一時間が四六・五ccであつたこと、また、名前を呼ぶと開眼するなどの反応が見られたことを認めることができる。

(六) 請求の原因2の(三)の(6)の事実は、再び心停止に陥つた点を除いて、当事者間に争いがなく、《証拠略》を総合すると、一七日四時〇五分に採血した血液のガス分析では、四〇パーセント酸素でPH七・四八、PCO2三六、PO2一九二、酸素飽和度九九パーセントであり、尿量も、同日一時から二時までの一時間が五一・三cc、同日二時から三時までの一時間が二五・六cc、同日三時から四時までの一時間が三一ccであつたこと、ところが、和博は、同日四時五〇分に血圧が下降し、不整脈から徐脈になつたこと、しかし、そのときは、数分後に血圧が収縮期圧八四に回復したこと、その直後から、塩化カルシウム等を頻回に投与し、ボスミンの持続注入も開始したところ、しばらく小康状態を保ち、和博は、同日七時ごろには「暑い。」と訴えたり、更には「ミカンが食べたい。」との意思を表示するなど意識がはつきりしていたこと、しかし、同日一九時になつて血圧が大きく降下し、その後は血圧、脈拍、呼吸数等が不安定になつたことを認めることができる。

三  被告病院の医師らの過失及び被告病院の債務者の責めに帰すべき事由の有無について

1  説明義務違反の有無について

(一) 医療契約は、医療そのものが一般に流動的、動態的で患者ないし疾病毎に変異性があり、しかも高度に専門的であることから、契約を締結しようとしあるいは締結した患者(側)にとつて多くの場合に契約の目的である当該医療の目標、内容、範囲、程度、代替療法の存否等が必ずしも明らかでない。したがつて、医療契約を締結しようとしあるいは締結した医師(側)は、(患者の自己決定権の行使のためであることもさることながら、)右のような医療契約の性質上、専門的に契約の目的を履行(又はそれを補助)する立場にある者の契約締結上の義務あるいは契約上の義務として、適宜の時期に、患者(側)に対して当該医療について説明をして契約の内容を確定しなければならないというべきである。そして、医師(側)が患者(側)に対してしなければならない当該医療についての説明は、契約締結上あるいは契約上負担すべき義務の一般的な解釈や医師(側)にとつても不確知的要素がないとはいえない医療の本質等からいつて、患者(側)が特に説明を求めた等の特段の事情のない限り、当該具体的状況において、通常の医師(側)であるならば通常の患者(側)に対してするであろう範囲及び程度のものであることを要し、かつ、それで足りるというべきである。

(二) 佐藤及び福田が原告らに対して、小柳が原告歌子に対して本件手術について説明したことは、前記二の1の(二)及び(三)並びに2の(二)に判示したとおりであり、和博の風邪症状が本件手術の当日朝までには、本件手術に十分に耐えることができる程度に軽快し、本件手術においてそれによるリスクがなかつたこと及び小柳が原告らの質問に答えてそのことを簡潔に説明したことは、前記二の2の(一)及び(二)並びに3の(一)に判示したとおりである。また、本件手術を担当することになつていた福田、小柳らが本件手術中に僧帽弁の逆流テストを実施することを決定したのが昭和五七年一二月一一日であつたことは前記二の2の(二)に判示したとおりであり、《証拠略》を総合すると、福田は、原告らに対し、ASDの手術に関して図面を使つて丁寧に分かりやすく説明し、被告病院心臓血管外科においては医師に説明義務があることを十分に理解し、それを実行していることを窺うことができること、小柳の先任の心臓血管外科医長である福田は、小柳に対し、原告らに対して右テストを行うことを説明するように指示したこと、小柳は、同月一四日に原告らか原告博かに対して心房中隔欠損孔を閉鎖する前に欠損孔を通して僧帽弁の具合を見てみようと思う、そのため手術の時間が多少長くなる旨の説明をしたと思う旨証言していること、福田は、小柳から、原告らに対して右テストをすることを説明した旨の報告を受けていること、小柳は、謹厳、実直な人柄であることを認めることができ、右事実によれば、小柳は、原告らか原告博かに対し、本件手術中に僧帽弁逆流テストを行うことを説明した可能性がある。他方、《証拠略》によれば、原告博は、同日には被告病院に行つていないこと、原告歌子は、同日、和博を介護ないし見舞うべく被告病院に行つていること、しかし、原告歌子は、同日、小柳から、右テストについてなにも聞いていないこと、原告らは、ともにその誠実な人柄からいつて法廷において虚偽の供述をするようなことが考えられないことを認めることができる。右の両事実を彼此勘案すると、小柳は、同月一四日ごろ、原告らかそのいずれかに対し、右テストのことを説明したこと、しかし、その説明を受けた原告らかそのいずれかがそれを聞き漏したかそれを理解できなかつたことも考えられないではない。仮に小柳が原告らに対して右テストをすることを説明していないとしても、和博にカテーテル検査の段階で心房中隔欠損孔のほか肺血管陰影の増強、右心室の拡大等が認められ、福田が同年一一月二九日に原告らに対して右カテーテル検査の結果の内容を説明していることは前記のとおりであり、《証拠略》を総合すると、右テストは、心房中隔欠損孔縫合閉鎖術に付随するものではないが、肺血管陰影の増強、右心室の拡大等を伴う心臓疾患の場合には僧帽弁閉鎖不全を疑うことができること、和博に対する僧帽弁逆流テストでは、左心室心尖からベントカニューレを挿入してこれを左心室の内腔に置いておき、リンゲル液を加圧して左心室腔の中に注入し、左心房側からみて僧帽弁の合具合や形を見たが、逆流が微妙であつたので何回かテストを繰り返したため、右テストには一〇分前後掛かつたこと、しかし、僧帽弁逆流テストは、一般には短時間で行うことができ、手技的にはそれほど難しいものではなく、それによるリスクの上昇はほとんど考えられないものであること、僧帽弁の閉鎖不全が疑われる場合には、その確認は、心房中隔欠損孔縫合閉鎖術をする際に行うことが便宜であることを認めることができる。そうとすれば、前記医師(側)が負う説明義務の趣旨に鑑み、福田及び小柳が原告らに対して和博に対する心房中隔欠損孔縫合閉鎖術について説明し、福田が原告らに対してカテーテル検査の結果の内容を説明している以上、-被告病院の医師らが原告らに対して右テストの実施を明確に説明することが望ましいことはいうまでもないが、-更に右テストの実施を説明する義務を負うとまではいえないというべきである。

(三) 右のとおりであるから、被告病院の医師らの原告らに対する説明には遺漏がなく、説明義務を尽くしているといわなければならない。

2  手術時期の選択上の過失の有無について

(一) 本件手術の至適年齢に達していたか否かについて

和博が昭和五三年七月六日生まれであり、本件手術が昭和五七年一二月一六日に行われたこと、和博の体重が本件手術当時一六キログラムを超えていたことは、前記のとおりである。そして、《証拠略》によれば、若干古い医学文献には、ASDの手術は、四歳ではいまだその年齢に達していない旨の記述があることを認めることができるが、他方において、《証拠略》によれば、近時の医学文献では、四歳は本件手術の至適年齢それも望ましい至適年齢であること、被告病院においては三歳から六歳の就学前、学童前に手術をしその後の経過観察も終えるということを一つの方針にしていること、肺高血圧症があつたり心不全があつたりする場合には、一歳未満でも手術をすることがあること、体重は、一五~六キログラム以上が輸血の量が少ないか全く輸血をしないで済む場合もあることから望ましいとされていることを認めることができる。

したがつて、和博は、十分に本件手術の至適年齢に達しており、一般的な意味での体力にも問題がなかつたということができる。

(二) 和博の体調が本件手術に耐えられないものであつたか否かについて

和博の風邪症状が本件手術当日の朝には軽快していたこと、和博の右の時点の白血球数が八三〇〇であつたことは前記のとおりであり、《証拠略》によれば、右の白血球数は、正常値であり、その白血球の性状からみても異常がなかつたことを認めることができるから、和博の体調は、本件手術の朝には十分にそれに耐えられるものであつたといわなければならない。

(三) 本件手術に相応した人員が配置されていたか否かについて

本件手術が通常のASDの手術と変わらない体制で行われたことは、前記のとおりである。

3  心筋障害を看過した過失の有無について

(一) 本件手術の翌日である昭和五七年一二月一七日のGOT値が四六八、LDH値が一八三〇であつたことは前記のとおりであり、《証拠略》を総合すると、和博の死亡の原因は、原告らが和博の病理解剖を拒否したためにはつきりせず、したがつて、小柳が作成した和博の死亡診断書には、直接死因として心房中隔欠損症と記載されていること、しかし、右のGOT値及びLDH値が異常に高いことや本件手術後の和博の症状の経過等からみると、和博の直接の死因は、心筋症とか心筋炎とかいつた心筋疾患である蓋然性が高いことを認めることができる。

そして、前記のとおり、カテーテル検査等の結果、和博の右心室は拡大しており、《証拠略》によれば、カテーテル検査の結果、和博の右心房・右心室が巨大であつたこと、福田は、そのことから右心室の収縮の程度が悪いとの印象を受けたこと、和博には肝うつ血が認められたことを認めることができる。

(二) しかしながら、被告病院の症例検討会では、和博には心不全はないと判断していたこと、和博が被告病院に入院した翌日である同月九日のGOT値が四八、LDH値が四八〇であり、本件手術の前日である同月一五日のGOT値が三二、LDH値が四六〇であつたことは前記のとおりであり、《証拠略》を総合すると、GOTの正常範囲は、報告者によつて必ずしも一定していないものの、一般には五ないし四〇単位/ミリリットル(カルメン法による場合)とされ、LDHのそれは、五〇ないし四〇〇単位/ミリリットル(ロブレスキー法による場合)とされているが、一〇〇ないし六〇〇とする見解もあること、しかも、GOT値の測定に関しては誤差要因もあつて、一〇パーセント前後の誤差は、常にあること、小児のGOT値、LDH値は、成人よりも高く、GOTについて一五歳代までは成人値の二倍に近い値を採ることがあること、また、和博のGOT値は、和博の肝臓肥大による肝臓のうつ血によつて多少高くなつたと思われること、小柳は、和博の肺血管にはうつ血(血流のうつ滞)まではないと判断したこと、心電図所見では、和博に心筋症、心筋炎が認められなかつたことを認めることができ、右の事実によれば、和博の同月九日のGOT値は、成人の正常値に照らすと多少高めであつたといえるものの、四歳児としては必ずしも正常値を超えるほど高かつたとはいえず、同月一五日のLDH値についても同様であつたということができる。

(三) 人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、右注意義務の基準となるべきものは、診断当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきである。その医療水準によつて右の(二)の事実をみるときは、被告病院の医師らは、右の危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を尽くしても本件手術前に和博の心筋障害を疑うことができなかつたものであるというべきである。

4  不必要な検査を実施した過失の有無について

(一) 和博の昭和五七年一二月八日の入院時の超音波検査では和博に僧帽弁逸脱の明らかな所見が認められなかつたこと、福田らがそれにもかかわらず和博の僧帽弁閉鎖不全を疑い、同月一一日に本件手術中に僧帽弁逆流テストを実施することを決定したこと、本件手術中に和博に対して僧帽弁の逆流テストを施行し、大動脈の遮断時間を一〇分前後延長させたこと、本件手術中における和博の大動脈の遮断時間が三六分であつたこと、和博の直接の死因が心筋疾患である蓋然性が高いことは、前記のとおりである。そして、《証拠略》によれば、和博に本件手術前から心筋疾患が潜在していたとすれば、僧帽弁逆流テストを含む本件手術による大動脈遮断等が和博の心筋に重大な機能障害を惹起した可能性があると考えられることを認めることができる。

(二) しかしながら、《証拠略》によれば、右の超音波検査における僧帽弁逸脱(プロラプス)の明らかな所見を認めないというのは、弁が左心室の方から左心房の方に引つ繰り返つていないという形態的な所見を示すものであつて、それだけでは僧帽弁閉鎖不全がないことの証明にはならないこと、本件手術のような人工心肺を使用した開心術においては、五〇分以内の大動脈遮断は、通常、心筋に影響がないと考えられていることを認めることができ、本件手術前における諸検査・診察から和博に心筋疾患があることを疑うことが不可能であつたこと、本件手術においては人工心肺装着の際和博の心筋保護が行われたこと、本件手術中に僧帽弁逆流テストを実施する必要があつたことは、前記のとおりである。

(三) 右の(二)の事実からすれば、小柳、福田らが和博に対して不必要な検査を実施したとはいえない道理である。

5  術後管理上の過失の有無について

(一) 気管内チューブの抜去時期を誤つた過失の有無について

(1) 和博がカテーテル検査の診断でASDのほかに軽度右肺動脈狭窄症に罹患しているとされたこと、和博に本件手術前の胸部X線写真で肺血管陰影の増強が認められたこと、肝臓が肥大していたこと、収縮期駆出性雑音があつたこと、麻酔科医が本件手術直後に手術室で和博の気管内チューブを抜去したことは、前記のとおりである。

(2) しかしながら、和博が人工心肺をはずすに当たつて薬物の補助を必要としないで自分の心臓の力のみで血圧を出したこと、被告病院ではASDの手術の場合にはほとんどの場合に手術室で気管内チューブを抜去していること、鈴木及び大川が和博の胸部X線写真上異常がないことを確認し、更に諸検査や視診等によつて全身状態に異常がないことを診てからその気管内チューブを抜去したこと、和博が抜管前の気管内洗浄において胸をたたかれた際かろうじてではあるが目を開けたこと、本件手術後の昭和五七年一二月一六日一三時五〇分に採血した血液のガス分析ではPO2が一六七mmHg(酸素ボックス内の酸素濃度四〇パーセント)と良好であつたことは前記のとおりである上、《証拠略》を総合すると、医学文献上も増帽弁狭窄症、ボタロー管開存症など比較的軽症例では、術後麻酔終了と同時に気管内チューブを抜去し自発呼吸にゆだねてよいとされていること、被告病院において単純なASDの手術のように簡単な手術で人工心肺の使用時間も短く強心剤も使わずに患者が呼吸をできる場合になるべく早く抜管する方針であるのは、状態の良い患者にとつて気管内挿管を続けることは非常に刺激となり、患者があばれて不慮の抜管による合併症が起きることがあることなどのためであること、和博が完全に覚醒していないのは、クロールプロマジン(鎮静剤)投与によるものであること、本件手術前の検査では和博の肺血管陰影が増強しているものの、肺高血圧症などの合併症の存在は認められなかつたこと(カテーテル検査の結果の肺動脈圧六〇/一七は、多少高い値ではあるが、肺高血圧症というほどではない。)、小柳は、本件手術中に右心房から三尖弁を通して右心室から肺動脈に指を入れ指先で肺動脈弁の狭窄を調べたが、それの明らかな狭窄はなかつたことを認めることができる。

(3) 以上の事実からすれば、鈴木及び大川は、それまでの和博に対する諸検査・診察・手術中の観察から、和博の症状を術後麻酔終了と同時に気管内チューブを抜去し自発呼吸にゆだねてよい比較的軽症であると認識していたのであり、その認識は妥当であるというべきであるから、鈴木及び大川が手術室内において抜管すべきであるとした判断に誤りはなかつたといわなければならない。

(二) 再挿管による人工呼吸管理が遅れた過失の有無について

(1) 前記のとおり、和博は、同日一三時二〇分(本項で判示する時間は、同日のそれである。)の帰室時に軽度陥没呼吸、口唇色・顔色やや不良、四肢冷感の状態にあつた。(2) しかしながら、《証拠略》によれば、和博の右帰室時の口唇色・顔色不良というのは、赤みが少ないというだけであつて、チアノーゼであつたわけではないことを認めることができる。また、和博が帰室後しばらく傾眠の状態にあり、そのため舌根が沈下しやすく呼吸がうまくできなかつたが、小柳が気道を伸ばすように確保し、分泌物を吸引することによつて幾分呼吸状態の改善がみられたこと、一三時二〇分ごろの血圧は一〇八/六四、体温は三八・二度(直腸温)であり、脈拍は一四八/分であつたこと、(ちなみに、一三時五〇分に採血した血液のガス分析では、PH七・三六、PCO2三五、PO2一六七(酸素ボックス内の酸素濃度四二パーセント)と良好であり、四肢を加温することにより一四時〇五分ごろには四肢の冷感も軽減し、肩枕を高くすることにより呼吸状態も良くなつた上に、和博が一四時二〇分ごろのネブライザーによる喀啖吸引時に、鼻にやるのはいやと言つて啼泣し、看護婦の呼び掛けに対して応答したこと)は、前記のとおりである。(3) したがつて、和博に対して一三時二〇分に再挿管して人工呼吸管理を行う必要はなかつたというべきである。

(三) 低心拍出量症候群に対する措置の必要性の有無及び血圧の急激な低下等に対して適切な医療措置を講じなかつた過失の有無について

(1) 本件手術終了後約四時間二〇分後の同日一七時〇分ごろ(本項で判示する時間は、日を特に断わらない限り、同日のそれである。)に軽度の鼻翼呼吸があつたこと、収縮期血圧が一五時五〇分で八二mmHg、一八時〇分で九四mmHg、一九時〇分で七二mmHgであつたこと、一四時五〇分から一九時までの脈拍数が一三六ないし一五二回/分であつたこと、尿量が一八時までの一時間が五・六cc、一九時までの一時間が五ccであつたこと、呼吸状態も不安定であつたこと、一六時前後ころには顔面にエデーム感があり、かなり刺激しないと反応がなかつたことは、前記のとおりである。そして、《証拠略》によれば、低心拍出量症候群は、心手術後に発生する低血圧、尿量の減少、末梢皮膚温低下、チアノーゼなどを主徴とする重篤な循環障害であることを認めることができる。

(2) しかしながら、和博の本件手術前である同月一三日五時ごろの収縮期血圧は、七六mmHgであつたこと、一六時の血清電解質所見がK四・九と正常であつたこと、一六時前後もかなり刺激すると和博が目を開けて「やめて」といつて身体を動かしたこと、一六時一〇分に採血した血液のガス分析では、PHが七・四三、PCO2が三一、PO2が二三一であつたこと、一七時ごろの血圧が一〇〇/六二mmHg、脈拍数が一四四回/分で末梢の冷感がなく、呼吸数が三四回/分で、脈拍が一四〇回/分であり、尿量も一時間二一ccであつたこと、一八時ごろの血圧が九四/六六mmHgであつたこと、帰室後一八時ごろまでの尿量が二三五・一ccであつたこと、一九時ごろの血圧測定時に和博が「おしつこしたい。」と身体を動かしたので、聴診器の代わりに超音波を利用するドップラー装置を用いて測定したところ、七二mmHgであつたが、モニター上は一〇〇mmHgを示していたこと、和博の死因が心筋疾患である蓋然性が高いことは前記のとおりであり、《証拠略》を総合すると、低心拍出量症候群は、非常に重篤な心臓手術の後に心拍出量が低下した状態がある期間続いたときに見られることがあるが、合併症のないASDの術後ではまず見られないこと、小柳、福田らは、一九時四〇分ごろまでの時点では、和博のASDにはこれといつた合併症はないと認識していたこと、和博の一七時ごろから一九時ごろまでの尿量の減少は、前に利尿剤を使つたためにそれまでに大量の尿排出があつたためで、更に利尿剤を用いる必要は認められなかつたこと、和博の呼吸数は、帰室後一四時五〇分ごろまでは、四二回/分から二四回/分と変動していたが、一五時二〇分ごろから一九時ごろまでは三六回/分から三〇回/分とほぼ安定していること、和博には一九時までの時点ではチアノーゼも認められず、脈拍数も多少高めであるが、和博の年齢からいえば頻脈とまではいえないこと、血圧の変動は、開心術後しばらくはまま見られることであることを認めることができる。

(3) 右の(2)の事実のとおりであるとすれば、右の(1)の和博の症状は、心筋に異常が発生したことによるものである可能性が強く、低心拍出量症候群の主徴とはいえないから、被告病院の医師らは、一九時の時点において和博に対して低心拍出量症候群についての医療措置を講ずる必要がなく、また、和博は、頻脈、乏尿ではなく、呼吸状態もほぼ安定していたから、一九時ごろに血圧がやや大きく下降した可能性があつたということだけでは、カテコールアミン、利尿剤の投与、人工呼吸器への接続などの医療措置を講じる必要もなかつたというべく、したがつて、被告病院の医師らに右の如き医療措置を講ずべき作為義務はなかつたというべきである。

(四) 心停止に対する措置上の過失の有無について

(1) 前記のとおり、和博は、同月一六日(本項における時間はすべて同日であるので、年月日の判示を省略する。)一九時四〇分ごろ、しばらく呼吸抑制が続いた後急激な血圧の低下と著しい徐脈に陥り、一時は瞳孔が両眼とも散大したが、その場には麻酔科医がいなかつた。

(2) しかしながら、一九時ごろの時点まで人工呼吸器への接続などの医療措置を講じる必要がなかつたことは前記のとおりであり、《証拠略》を総合すると、和博の病室には、一九時四〇分ごろの時点にも人工呼吸器が置いてあつて、直ちに気管内挿管ができる準備が整つていたこと、和博が著しい徐脈に陥つた旨の連絡により、小柳、岡井、鈴木らが直ちに和博のベットサイドに駆け付けたが、岡井が最も早く小柳が続いて着き、直ちに気管内挿管の準備に取り掛かつたことを認めることができ、小柳や岡井とともに心マッサージ施行開始五分後に気管内チューブを挿入し、メイロン(重曹水)二〇cc及び塩化カルシウム五ccを静注したこと、一九時五〇分に採血した血液のガス分析では、PH七・三〇、PCO2三三、PO2四五八、酸素飽和度一〇〇(一〇〇パーセント酸素)であつたこと、人工呼吸器に接続した一三分後には、血圧が一〇五/五八に回復したこと(ちなみに、一九時五五分ごろには、ラシックス(利尿剤)一アンプルを、次いでメイロン一アンプル及びボスミン〇・五ccをそれぞれ静注したこと、二〇時ごろに循環動態がまだ不安定の状態であつたので、プロタノール(強心剤)の点滴を開始したこと、二〇時三〇分に採血した血液のガス分析では、五〇パーセント酸素でPH七・三八、PCO2三〇、PO2二一一、酸素飽和度九九パーセントであつたこと、しかし、その一〇分後に、血圧が収縮期圧七八mmHgに下降し、脈拍数が一六〇回/分に上昇したため、プロタノールを中止してドブトレックスに変更したこと、その後は脈拍数が減少するとともに血圧も上昇して、二二時三〇分ごろには収縮期圧八五mmHgになり、尿量も二一時から二二時までの一時間が三八・五cc、二二時から二三時までの一時間が四六・五ccであつたこと、また、名前を呼ぶと開眼するなどの反応が見られたこと)は、前記のとおりである。

(3) そうであるならば、和博に対する気管内挿管は、麻酔科医がベットサイドに待機していて著しい徐脈に対処した場合に比べて遅れがあつたということができるが、その遅れはせいぜい数分に過ぎず、しかも、一九時四〇分ごろの時点に麻酔科医が和博のベットサイドにいなければならないとすることは難きを強いるものであつて、被告病院の医師らの和博の著しい徐脈に対する措置の僅かな遅れを非難することはできないというべきである。

四1  以上のとおりであつて、小柳、福田、加藤木利行、鈴木、大川ら被告病院の医師らには、不法行為上の、患者の診療に当たる医師としてなすべき注意義務にたがうところはなかつたというべく、また、被告病院の右医師らには医療契約の債務者である被告病院の履行補助者としてなすべき本件手術を含む診療債務の履行にもとるところもなかつたから、被告病院には債務者の責めに帰すべき事由もなかつたというべきである。

2  したがつて、その余の点(原告らの期待権侵害の主張を含む。)を判断するまでもなく、被告(病院)には、小柳、福田、加藤木利行、鈴木、大川らの使用者として不法行為上の使用者責任及び原告らとの医療契約の債務者として債務不履行責任を負担すべきいわれがない。

五  結論

よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古閑美津惠)

裁判長裁判官並木茂及び裁判官楠本新は、いずれも転補のため署名・押印できない。

(裁判官 古閑美津惠)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例